人は足から死んでいく
タイトルのとおりなわけですが。
足と脳には切っても切れない関係があります。
というか、当然です。
身体の栄養は血液が回しています。血液は心臓が回しています。あとは、足です。
第2の心臓ともいわれるふくらはぎをはじめ、足には身体の60%の筋肉が集約しています。
足は歩くとき、かならず筋力をつかい、必ず動かします。寝るとき以外はなにかエネルギーを使ってます。
もちろん消耗もはやいわけです。膝や腰を痛めるのはそういうことです。
そして足が死ぬと、脳もやられるわけです。
足が元気な老人は、元気だ
日本教育の敗北
日本人がグローバルにものごとを考えるようになる。というのはいささか難しいことである。
なぜならば、
日本人は、いやでも日本の教育をうけているからである。
みたいなことです。
夜飲みに歩いて、酔っぱらって終電逃したり、大学生でバカやってSNSにあげて人生棒にふったり
いろいろあるわけですが、
今回取り上げるのは「怒鳴るおじさん-おばさん」についてです
なぜそのような現象がおきるのかというと、
まずその人が過去に、なにかしら抑圧をうけたかもしくは、相当自由度の低い(イマジネーションのない)人生を歩んだに違いありません。
そういった人生を積んできて、おじさんになると、自由度が増します(お金や行動範囲、その他)
そこではじめてイマジネーションを得る
そうすると一気に爆発するわけです。
これまでの人生分の自由度を爆発させるわけです。
そりゃ怒鳴るわ
いままで違ったのに、ある時点から"世界が自分の思い通りになる"わけですから
→ある程度自由度の高い生活をつむと、世界の道理がわかるため、なんとなくなにをしたらこうなる、みたいな予測がたつことをさします
それは日本の教育過程で、自由度のないことをしているからそうなるのです。
解決策としては、
①行動範囲をひろげる
②自由にできるお金をたくさんにする
これしかありません
感性を磨く?無理です。
これぞグローバル。これぞ教育です。
24時間365日
昔の24時間と今の24時間は必ずしも同じとはいえない
昔と違い、いまは時間を買える時代だ。それは0.1秒くらいのものから何日に及ぶものまで。
100円で売ってるものに対して「これ100円で作れって言われたら無理だな」って思うことあるとおもう。
それと同時に「これをレジに持っていって買う時間でこれを作れって言われたら無理だな」と思うだろう
そりゃそうだ
高度に発達した機械や、合理的に制御されたシステムはぼくたちに時間を与え続けている
ひとづきあい
人ひとりを点として
他人とどうつきあうのか、考えたことがある
点でつきあうのか
線でつきあうのか
平面でつきあうのか
立体でつきあうのか
x軸とy軸とz軸を何に置くのかは個人の勝手だけど、せっかくなら立体的にひととつきあうべきだとおもうね
人を覚える
みんなどうやって覚えてるんだろう
俺は基本的に名前や特徴より「形」と「色」で覚えてる
名前なんかは二の次
まず髪の色や肌の色、歯並びや目の位置とかで形と色を頭にインプットする
だから髪型とか髪の色、メイクやピアスとかの違いに敏感なんだけど
最近よく「よく変えたのわかったね」って言われるようになって気づいたけど、周りにいるみんなとは違うみたい
みんな人をどうやって覚えてるんだろね