Naizoushibou

思ったことを思ったときに書き留める

無知の知

よく言ったものだと思う

よくいるじゃん、ちょっと調べたくらいでものを知ったように話す愚かなやつ

こだわることや、よく知ることは悪いことじゃないし、むしろ誉められるべきこと

でもそれをひけらかしたりするとほんとに小さく見える。人として。
言葉としても軽く感じる。

自分の中で楽しめないのかよ
ええ加減にせえ

メッセージ性

弱すぎる

日本人は特に、日本語がうまくできすぎているから弱すぎる

身近なところでいうとLINEやTwitterのプロフィール画面でのひとこと

あそこの引きがとてつもなく弱い

なんか"そういう人"全員そうだけど、やたら「勝者は自分に勝ってないと」だの「勝者以外に価値はない」とか勝ちに拘る

2番でいいじゃん、敗者の中の一番じゃん
思ってもない綺麗事吐くなよ

いいこと言ってるつもりでも、かなり寒い
綺麗な言葉ほど嘘くさく感じる

完璧世界

この世は現実やリアルな世界

もうひとつ、完璧世界があるはずだ

この世のものは不完全に溢れている。そして不完全さに美しさを覚えるようにプログラムされた人間(不完全の集大成)が生きている。

多分おれたちは完璧なものをなにかひとつでも見たら、美しすぎてショック死するようできてるんじゃない?

完璧を追い求めるのはうわべ、完璧を求めるその事に美しさを追い求めてる

難しいことはわからないけど、神(完璧世界の住人)ですら完璧なものじゃないだろう。ならば現実世界に完璧なんてものはないはずだ

自己啓発?

自己啓発本ってたまに冷やかしで見てみるんだけれども、あれは何を訴えてるんだろう。

例えば、っていうかこれが一番言いたいんだけど

「誰の言うことも聞くな、好きなように生きろ」みたいなのの後に「人は一人では生きていけない」みたいな脳内お花畑みたいな文書いてあるよね

まず自己啓発本読んで、お前の言うこと聞いて、誰の言うことも聞かなくなったとして、それはお前の言うこと聞いてるんだよ。矛盾を言葉に残すなよ

人は一人では生きていけないわけじゃない、一人では生きていけない状況に社会が、環境が発達発展してしまったんだ。勘違いするな

人間は綺麗事言われると楽しくなっちゃうんだよね 多分。

外から自分を見る

他人が求める「自分」

自分が思う「自分」

世界から求められている「自分」


一緒とは限らない


外から自分を見ることで「本当に自分が求められていること」が少しは見える

横顔が両側から見えてやっと、正面からの顔がわかるってこと

道徳のじかん

小学生のとき、あったよね

俺はあの時間が好きで仕方なかったんだよね。正解のない問題にぶつかって、みんながどんな答えを導き出すのか、いつもいつも楽しみで仕方なかった。

そこで「本音と建前」を小学生ながらに学ぶんだよ。普通にワクワクする。

こう思うけど、こう言ったら怒られるってなんとなく察するようになってくるんだよ。

でもね

俺がおもうに、それじゃ思考は育たない。

思うこと、ぶつけさせてから教育が始まる。生徒に察させてはいけない。一度思ったことを書き連ねる練習をして、それをまとめる練習をして、やっと建前の練習ができる。

それを一気に詰め込んでも小学生はわからん

それ以前に、教員が道徳者であるかは甚だ疑問ではあるが