無知の知
よく言ったものだと思う
よくいるじゃん、ちょっと調べたくらいでものを知ったように話す愚かなやつ
こだわることや、よく知ることは悪いことじゃないし、むしろ誉められるべきこと
でもそれをひけらかしたりするとほんとに小さく見える。人として。
言葉としても軽く感じる。
自分の中で楽しめないのかよ
ええ加減にせえ
完璧世界
この世は現実やリアルな世界
もうひとつ、完璧世界があるはずだ
この世のものは不完全に溢れている。そして不完全さに美しさを覚えるようにプログラムされた人間(不完全の集大成)が生きている。
多分おれたちは完璧なものをなにかひとつでも見たら、美しすぎてショック死するようできてるんじゃない?
完璧を追い求めるのはうわべ、完璧を求めるその事に美しさを追い求めてる
難しいことはわからないけど、神(完璧世界の住人)ですら完璧なものじゃないだろう。ならば現実世界に完璧なんてものはないはずだ
トクベツ
特別になりたい
普通は嫌だ
自分は普通とは違う
意識してる時点でてめぇは有象無象だよ
かっこつけてる場合か、そんなことしてたら普通にすらなれなくなる。中途半端者に生きる場所は無いんだ
外から自分を見る
他人が求める「自分」
自分が思う「自分」
世界から求められている「自分」
一緒とは限らない
外から自分を見ることで「本当に自分が求められていること」が少しは見える
横顔が両側から見えてやっと、正面からの顔がわかるってこと
道徳のじかん
小学生のとき、あったよね
俺はあの時間が好きで仕方なかったんだよね。正解のない問題にぶつかって、みんながどんな答えを導き出すのか、いつもいつも楽しみで仕方なかった。
そこで「本音と建前」を小学生ながらに学ぶんだよ。普通にワクワクする。
こう思うけど、こう言ったら怒られるってなんとなく察するようになってくるんだよ。
でもね
俺がおもうに、それじゃ思考は育たない。
思うこと、ぶつけさせてから教育が始まる。生徒に察させてはいけない。一度思ったことを書き連ねる練習をして、それをまとめる練習をして、やっと建前の練習ができる。
それを一気に詰め込んでも小学生はわからん
それ以前に、教員が道徳者であるかは甚だ疑問ではあるが