偽善
うちの家系は複雑な事情を抱えている
小さい頃からそれを見てきたから、普通のことなんだけど
改めて考えると酷い話だ
子供でもわかるほどの偽善というか欺瞞が蔓延っていたんだよな。それをなんとなく感じ取って、生きやすい性格に変えた
君は寡黙で優秀で大人への受け答えもしっかりとしているね、なんて毎回言われていたけど
そんなんそれこそ作りまくった自分だよ。やり込みすぎて普通になったけど
本来自分でやりたいことできるなら騒ぎまくってタトゥー入れまくって歌だけ歌ってたいけど
生きるためだからな
何か話せばとりあえず否定されるんじゃ、話す気も失せるんよな
そうこうして、聞かれたら答えるスタンスを確立したら寡黙で優秀な自分ができあがったわけだ
心配してるつもりで聞いてくることとかもそんなん「話さないこいつに話してやった」くらいのことしか考えてないだろ
自己満足の偽善者が気安く話しかけんな
強烈な人
何にしても強烈な人は記憶に残りやすい
強烈に変わってる人、強烈にいいにおいする人、強烈に顔の良い人、強烈に何かが上手い人(もちろん逆もね)
そういう人になりたいわけじゃないけど意識しないでそういう位置持ってる人ってかなり爆アドだよね
まあでもそれって数多の「普遍」があるからこそ「強烈」なだけかもね
その強烈を普遍なしに打ち出せたら本物だけど、ほぼ無理なんだよね。理不尽でしかないけどそうなんだよね。
雪と雨
雨より雪のほうが冷たいけど、ゆっくり降ってくるからなんとなくやさしい
雪より雨のほうが濡れるけど、なんとなく心の悪いところをつれてってくれる
雪はつもるのが美しい
雨は窓越しに見るのが美しい
ほんとになんとなくだけど、晴れより面白い
でも晴れがすき
そんで雨があがった後の虹は最高にすき
夜道
フードかぶって夜道を闊歩すると海外の人が多いように思う。
もちろん労働者として、だ。
日本人がやらないこと、やりたくないことを彼らに押し付けているようで嫌だ
変わってやらうとも思わないけどどうにかならんかな、という気持ちも生み出す
新聞配達が忙しそうだし、家に帰るとする
嘘とか悪とか
正しいとか正義とかって決められるのは大衆でなく神でなく「自分」であるべきなんだよ
自分を信じることでどんな嘘だって正義になりうるし正しくあることだと思う
法律や世間体だってあるけど自分の思う信念を貫いて責任が持てるならそれはもう嘘じゃない
悪があるから正義が成り立つしその逆もまた然りなこの世の中で何が嘘で悪かってそりゃ自分を信じられないで周りに媚びへつらうことしかできない腰抜けだ
自分に嘘は吐かずに生きたいものだね