日本教育の敗北
日本人がグローバルにものごとを考えるようになる。というのはいささか難しいことである。
なぜならば、
日本人は、いやでも日本の教育をうけているからである。
みたいなことです。
夜飲みに歩いて、酔っぱらって終電逃したり、大学生でバカやってSNSにあげて人生棒にふったり
いろいろあるわけですが、
今回取り上げるのは「怒鳴るおじさん-おばさん」についてです
なぜそのような現象がおきるのかというと、
まずその人が過去に、なにかしら抑圧をうけたかもしくは、相当自由度の低い(イマジネーションのない)人生を歩んだに違いありません。
そういった人生を積んできて、おじさんになると、自由度が増します(お金や行動範囲、その他)
そこではじめてイマジネーションを得る
そうすると一気に爆発するわけです。
これまでの人生分の自由度を爆発させるわけです。
そりゃ怒鳴るわ
いままで違ったのに、ある時点から"世界が自分の思い通りになる"わけですから
→ある程度自由度の高い生活をつむと、世界の道理がわかるため、なんとなくなにをしたらこうなる、みたいな予測がたつことをさします
それは日本の教育過程で、自由度のないことをしているからそうなるのです。
解決策としては、
①行動範囲をひろげる
②自由にできるお金をたくさんにする
これしかありません
感性を磨く?無理です。
これぞグローバル。これぞ教育です。